鹿角街道を往く~その3~

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鹿角街道の痕跡を探す朕らの旅は、国道104号を東上して青森県田子町を進んでおる。
で、ぐねぐねと曲がりくねった勾配きつい山道をしばらく進むと、美しい森の中に、また石碑発見じゃ。
まさに「鹿角街道」と書いてあるのう。国道からこの石碑の脇へ入る小道があるが、もしや旧鹿角街道はこれであろうか。
なにやら説明の書き物があるゆえ、接近するぞなもし。
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説明書きに曰く、

史跡 鹿角街道
 この街道は来満街道と並んで、特に近世以降三八地方から花輪・大館を経由して裏日本に通じる主要な街道であった。
 幕府巡見使の順路でもあり、また、尾去沢産の御用銅を野辺地湊まで牛によって陸送した街道でもあったので「殿様街道」・「銅の道」の別称もある。
 もとは、現地点から折戸川を渡り、沢目の小径(現在は消滅)から比良之坂の急坂にかかり、「駕籠立場」「萱野平」(この二ヶ所は位置不明)「栗の木平」を経て「毛文字」にでた。(現地点よりこれまで六.八キロ)
 このあと大柴峠・小柴峠の峻険を越えて、折戸で大湯街道と合した。


・・・と、ある。
むむ、中滝の地名が出てきておらんな。そして大柴峠と申せば中滝と安久谷渓谷の中間にある山のことじゃ。さらに折戸で合するということは、もしや旧鹿角街道は今の国道103・104号のラインよりも南側を通っておったのやも知れぬ。いやいや、その前に大湯街道ってばどこから見たどの道のことじゃ?
とすると、福倉沢の流れに沿っておったのか。はたまた少々迂回して堀内川沿いにあったやも知れぬ。
しかし田子から県境付近までの旧鹿角街道がほぼ104号と重なると考えると、わざわざ険峻な峠を往来するよりは中滝を経由し大湯川沿いを進んだほうが安全なような気がするが。
昔と今では交通の条件や考え方が違うのかのう。河川の氾濫なぞも昔の方が断然多かったのは確実ではあるが。
谷沿いより峰に沿った道だったやも。
今は完全に廃村となっておる折戸集落も、街道が交差する要地であったならば、往時はさぞかし賑わい栄えたことであろうよ。
ううむ、想像は広がるが実際はどうだったのであろうかのう。ちと、もう少し調べが必要じゃな。(朕)

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by deepkazuno | 2009-08-16 11:59 | ダンジョン
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