大湯のお城跡

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我が鹿角の北東部、大湯のある場所に、こんな案内板が立っておる。大湯の城跡の説明のようじゃな。見るとかなりでかい規模の城だったようじゃ。我が鹿角に数多ある城址の例に漏れず、地形を巧みに利用して、高台の上に分散して城郭が築かれておったようじゃ。こら難攻不落そうじゃが、どっちかっていうと毛馬内方面からの攻め手に対する形になっておろうかのう。しかしこの城塞の規模、相当なもんじゃが、昔の大湯の立地を考えれば納得する部分はあるぞなもし。昔の街道っちゅうのは、今の国道が通っておる道とは全く違っておったのじゃ。大湯の五の岱から安久谷川沿いに上流へ街道が伸び、旧不老倉鉱山のあたりの来満峠という峠を越えて岩手県側に通じておったそうな。来満峠は今はもう無いがのう。この街道が行き着く岩手県側の地域が田子じゃ。田子といえば南部の棟梁の根拠地じゃな。要するに、南部家の西の守りの要であった地が大湯ということになろうかのう。それが証拠に、南部家統治時代は大湯の城主は南部一族の者が配されておったようじゃ。この辺の話、郷土史家の安村先生の話が面白そうじゃ。城下町として、街道の宿場町として、温泉街として、不老倉の鉱山を支えた街として栄えておったころの大湯、無理な話じゃが見てみたかったのう。(朕)
by deepkazuno | 2007-03-06 10:08 | ダンジョン
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