月山神社

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我が鹿角には自社仏閣数多あるのう。しかしあまりにも多い神社のうち、大半は朽ちるに任せておるわけでもなかろうが草木にまみれ埋もれておる。しかし各地で相当な昔から信奉され続け、民の生活に密着しておる神社はやはり今でも大切に保護され改修され、今に至っておるのじゃ。その中で今回は毛馬内の月山神社を紹介してみようぞ。月山神社は毛馬内沢川の上流に位置しておってな、いやまあ本当に山の中じゃ。しかし見事な鳥居であろう。鳥居から社殿へと続く石段がまた素晴らしいのう。時の流れを感じさせる、古い古い苔むした石段じゃ。
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かなり長いこの石段、げに苔だらけゆえ、滑りやすくて注意が必要じゃ。本当は車でも本殿近くまで登っていけるのじゃがな、この石段は一度踏み入れる価値があろうというものよ。
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これが月山神社じゃな。見ればこの神社のいわれが掲示されておる。以下、その内容じゃ。

 当神社創建の由来は遠い平安時代にさかのぼる。桓武天皇の御代「延暦年代」坂上田村麻呂将軍が、東国と中央との対立を治めるよう天皇の詔を受け、成就の暁には奥州に七つの月山神社を建立する立願から始まり、その後、将軍の威令がよく行きわたって奥州が静まるに及び、この地に大同二年(八〇六)月読命を奉斉して国家鎮護、蒼生の守護神とされた。中世には社殿が数度の消失にあい、天文十七年(一五四八)、南部二十二世政康公の五男武田靭負佐秀範が三戸から毛馬内古館(当麻館)に移って毛馬内を領するに至り、文禄年中(一五九二~九六)に月山神社を再建す。以来近世には、代々南部藩公の崇敬厚く、明治維新に至るまで藩費寄進をいただき、五穀豊穣、家内安全の祈願神社として敬われてきた。
 また、寛政七年(一七九五)には田山村(現岩手県安代町)の人々によって三百段の石段が寄進され、苔むした今に至っている。
 明治四十年に神饌幣帛料共進神社に指定され、大正十四年から昭和二十年まで県社に列せられている。
 現存の本殿は、元文五年(一七四〇)に建立されたもので、後に拝殿との間(幣殿)を鞘堂で一体に覆い風雪から守っている。本殿は高床式に高欄を配し、粋な流造り形式で、百人一首掲額と共に市文化財に指定されている。

祭神 月読命 稲倉魂命 誉田別命 大日霊命 伊邪那美命 菅原道真
(中略)
祭日 春例祭 三月十三日 例大祭 七月十二・十三日 秋例祭 十一月二十三日(秋分の日)
(後略)


・・・ということは建立されて以来1200年となりよるか。恐ろしいほどの歴史の積み重ねがあるのう。苔むした石段が田山衆の寄進によるものじゃというのも面白いのう。この月山神社の威光といおうか、名と信が遠くまで響き渡っておった証であろうな。
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おまけといえばなんじゃが、月山神社の本殿の脇にのう、こんな小さな祠もあったぞなもし。なんか大家族のキツネ様みたいじゃな。小さな鳥居まであるぞな。もともとどこぞにあって、いつからか合祀されたものやも知れぬな。このような祠が星の数ほどあるのも、我が鹿角の風俗の特徴かも知れぬ。とにもかくにも、このような場所、我らも大事にしてゆかねばならぬぞな。(朕)
by deepkazuno | 2007-09-01 20:53 | 宿屋うまごや
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