左多六とシロ

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皆のもの、今日も我が鹿角を愛しておるかね。朕はいつも片思いじゃよ。ツンデレじゃと思いたいが最近はずっとツンの方じゃな、じゃじゃ馬め、この。何の話やらじゃな。ところで何度もこのブログで書いておる通り、我が鹿角は伝説や民話の類がとりもなおさず豊富じゃ。観光アシスタント鹿角三姫の由来である吉祥姫、政子姫、芦名姫のお話、鉱山の発見に関わる伝説に八郎太郎の物語など、枚挙にいとまがないわい。で、その我が鹿角の伝説、民話の中でもけっこう有名なもののひとつに、左多六とシロという伝説がありよる。これは八郎太郎や錦木塚物語にでてくる若者の出身地、草木地区のお話じゃな。この左多六とシロゆかりの地には、社と公孫樹の巨木が印象的なちょっとした公園のような場所になっておって、そこに伝説に関しての案内板が立っておるのじゃ。以下、案内板の文を書き写してみるぞな。
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昔、崇神天皇の頃、二戸郡より〝定六〟と申す又鬼が皮投岳をこえきて、鹿角の里を開拓したという。
その子孫も代々左多六と称し、又鬼を生業とした。中には源頼朝公の富士巻狩に召出され功名を挙げた人もあった。その後、南部信直侯の頃、先祖の功績により、天下御免の又鬼免状を与えられた。その左多六と、忠犬シロの悲哀物語がこの伝説である。

ある年の如月、左多六は愛犬シロを連れ狩にでた。その日に限って獲物はなく、遠く四角岳の方までいった。やっと一匹の羚羊をみつけ撃ったが、手負いのまま逃げられ、峠を越えて三戸領にはいった。獲物を撃ち取り帰ろうとした時、三戸の又鬼数人に取囲まれ誰何された。左多六は「天下御免の又鬼だ、コレお墨付も」と懐に手を入れたが、雲悪く免状がなかった。
証拠の免状がないので、三戸城の武士に引き渡された左多六は、申し開きも聞き入れられず、牢に入れられ、三日後には処刑ときまった。シロは主人の身辺ただならぬことを知り、ようすを窺っていたが、明日は処刑という晩に、格子ごしに主人に近寄ることができた。
「あの巻物さえあれば助かるのに」と嘆く主人のことばが長年苦楽を共にしたシロに通じたのか、三戸から草木へと、十数里の道を一目散に駆けもどった。
家に帰りついたシロは激しく吠えた。左多六の妻は食物を与えたが、シロは口にもせず、むなしく三戸にもどった。左多六は「仏壇の引出に」と念をおすように幾度も言った。また草木まで駆けもどったシロは、仏壇に向って火のつくように吠えた。左多六の妻は引出の巻物に気づき、竹筒に入れ、シロの首に結びつけた。
シロは駆け続けたが、峠をこえる頃、東の空に明けの鐘がひびき、左多六の命は春の淡雪のように消えていった。シロは主人の無念を偲び、恨みの遠吠えを七日七夜も続けた。この森は今も犬吠森と呼ばれている。
帰りついたシロの首に巻物が結びついていたので、左多六の死を知った妻は悲嘆にくれたが「所払いだ、南部領を出ろ」といわれ、シロを連れ葛原に移った。シロは老犬となり死んだが、その後も色々ふしぎなことが生じたので、村人たちはシロにまつわる悲しい話に同情し、死屍を小高い丘に手厚く葬った。今の老犬神社であり、秋田犬の神社として全国的に著名である。
この地は伝説の主人公、又鬼左多六の住んだ屋敷であり、主人公に忠節を尽した秋田犬の元祖ともいうべき、忠犬シロのふるさとである。


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いやあ、我が鹿角は悲恋物語やら悲哀物語の大作があるもんじゃのう。マタギって又鬼とも書くのじゃな。南部のマタギたちは幕末の戊辰戦争の折にも狙撃兵として活躍しとる、これぞ本当の猟兵というやつじゃな。ちなみに羚羊というのはカモシカのことじゃな。しかしなるほどなるほど、大湯の安久谷川上流のあたりに犬吠森という地名がみえるのう。往古は安久谷川沿いに、三戸方面に通ずる街道があったゆえ、なるほどここがのう、といった感じじゃ。左多六が狩りに出かけた四角岳ちゅうのも、今も県境にそびえておる。そして、我が鹿角の西方、十二所に程近い葛原集落には、確かに老犬神社というのがありよるよ。なんとまあ、完成された話ではないか。いつでもテレビドラマにできるのう。シロが恨みの遠吠えしたあと、三戸では地震や火事なんぞが起ったという逸話もあるでな、もうすごいのう、シロ。この伝説、恐らく、とても深いぞなもし。(朕)
by deepkazuno | 2008-06-06 17:22 | 宿屋うまごや
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