どっとはれぇ

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上の写真の御仁らを存じておるかな。我が鹿角の語り部、どっとはらえの会の方々じゃ。我が鹿角には伝説や昔話、伝承の類がしこたまあるでな、この御仁らの口から鹿角弁で語られる数々の物語はとても貴重で面白いものじゃ。以前も紹介したが、こんなCMにも出演されておるのじゃぞ。CM中で曰く、今の子供達は鹿角弁を話さないのではなく、話せない、と。かたや、言葉が無くなるというのは、文化が無くなると。言い得ておるな、至言じゃ。文字も間違いなく文化と言えようが、文化というものの最も基本となるのは言葉じゃ。我が鹿角の文化なれば、我が鹿角固有の言葉がそれにあたるとも言えようさね。上台(うわだい)を「ぅわんで」、蟹沢(かにさわ)を「がんじゃ」、膝(ひざ)を「ひンじゃかぶ」、肘(ひじ)を「ひンじッつり」、後頭部(こうとうぶ)を「うしろげンど」などなど、伊奈かっぺいではないが「日本語にて表記不可能」じゃよ、まったく。寿司(すし)を我が鹿角の古老達はなんと申す?「しし」?「すす」?「し」と「す」の間の発音じゃな、すもしも。日の本の標準語では伝えにくいことを、我が鹿角弁では簡単に伝えられることもあるというのも皆分かろう。鹿角弁で「行がさる」は「行くことができる」と訳すか、それとも「行くだろう」と訳しよるか。どっちも合っておるがどっちも違うじゃろ。英語と日本語で同じような単語も微妙にニュアンスが違うように、文化が違えば言葉のさす意味も表現も発音も変わるわけじゃ。これ我が鹿角の観光や物産に携わっておる御仁ら皆が捜し求めておる、我が鹿角独特の、特有の何かというやつの一つの答えではないかね。言葉を大事にするということは地元を大事にするということにも繋がろう。独特の言葉を大事にすることで、他の独特なものが見えてくることもあるのではないかね。素晴らしき我が鹿角弁、恥ずかしいことは何もないから、普通に喋っていこうぞなもし。どっとはらぇ。(朕)

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by deepkazuno | 2009-01-07 11:16 | 宿屋うまごや
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