言葉は不要のコーケー

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朕はな、鹿角地域の農家とよく話をする機会があるのじゃ。今の農家はな、まあ機械化が進んでおるというか進まざるを得ん、なんでかっていうと生産コストの問題だったり労働効率の問題だったりするが、要は市場への食糧の安定供給のためじゃ。しかし生産資材の高騰に対して食品の単価は下がる一方でな、米なんかはっきり言って普通に作ってるとボランティアみたいなもんじゃ、利益なんぞ出ん。野菜も果樹も、負け続けるバクチのごとく生産のための投資ばかりで生活費が微々たるものしか手に入らん。実に、職業としての農家というのは瀕死の状態じゃ。ゆえに、農家のうち少なくない人達が全くやる気をなくしておる。愚痴も年々多くなってきたのう。自分の仕事をけなしておる者も少なくない。今まで長年やってきた農家の仕事を卑下して、息子たちに「お前は継ぐな」と多くの者が言っておる。そんな現状、朕にはかなりの精神的ダメージじゃ。もちろん農家にとっちゃ生活かかっとるからつらいもんがある。
しかしな、職業としてみた農家ってもんから視点を変えて見るとじゃ。農家ほど地元の自然を感じ、自然と闘い、また会社や職場なんぞの時間にとらわれず、自分の意のままに働けるのもないのじゃ。こりゃ他の職業で似たようなのを探すとなるとなかなかないぞ。あるとしたらアーティストくらいのもんか?なんにもない地面から人間の食べ物を生み出すってのも、真っ白なキャンパスに価値を創出するアーティストに似ておるかも知れんな。そんな素晴らしい仕事にプライドを持ってやる農家が少なくなってきたのも、朕は嘆いておる。
しかしな、実は朕が一番農家をうらやましいと思うのはな、多分結婚してからずっと何十年も二人で毎日畑仕事してきたんじゃろうなー、という雰囲気の老夫婦が、自分の畑のほとりで二人並んで座って、お茶してる場面を見るときなのじゃ。くどいか。毎日毎日、夫婦で一緒に生き物を育てておるのじゃ。何十年もじゃ。おまけに自分たちの育てたものを食卓に出して一緒に食べとる。んで、なお仲睦まじいのじゃ。歳とってなお寄り添う、なんとうらやましい光景か。一緒に、時間の束縛無く、自由に働けるからこその農家ならではの光景なのじゃ。こんなの見るたびに、農家って仕事は捨てたモンじゃないと朕はつくづく思うのじゃ。が、政府の政策は自由気ままに小面積でやる農業を潰しにかかっておる。大規模に農地を集積して生産効率を上げよ、農業は担い手農家に集中して行わせるというのじゃ。農業も時給制にするか法人化せよと。そして人件費削減のためと一般企業並みの時間給確保のために、年に2000時間以上働かないようにと。あきれるがこれ本気で言っとる。・・・朕の好きな光景はもう見れんかも知れんぞなもし。(朕)
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by deepkazuno | 2006-09-24 18:51 | 宿屋うまごや
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