![]() 米代川の川下小豆沢の根元に大層酒好きなおじいさんが住んでいました。おじいさんは、行く末が不安な心細い生活をしていましたので、長牛に住む京都生まれの若者が、おじいさんの養子になりました。若者は、日頃信心していた大日神のお導きで、川下の独鈷の娘を嫁にむかえました。夫婦は、一生懸命働きましたが、一向に暮らしが楽になりません。ある晩のこと「川上に住むなら福きたり」と大日神のお告げがありました。夫婦は、さっそく養父を背負って川を上がり、米代川の源流平間田にたどり着きました。村の人々に、村はずれの耕地を耕すことをお願いし、夫婦は、養父をいたわりながらやぶ地を切り開いて働きました。秋日和が取り入れに忙しいある日のこと、木陰で昼休みをしているうちに疲れが出て夫は、居眠りを始めました。すると、しっぽに酒をつけた赤いだんぶり(とんぼ)が、飛んで来て寝ている夫の口に止まりました。夫は、そのおいしさに目を覚ましました。夫婦は、だんぶりが飛んでいった方へいってみると、岩陰から水がこんこんと湧いていて、その水をすくって飲んでみると、それは今までに飲んだこともない甘いお酒でした。夫婦は、大喜びで泉を汲んで養父に飲ませました。養父はそれを「百薬の長」と言って喜びました。この源泉発見の話は、たちまち村人たちを始め近郷、近在の人達に広がりました。正直な夫婦は、これをほしい人達に分けてあげました。二度三度になりますと、人々はその土地から取れる宝物を持参して泉の水と交換するようになりました。夫婦は、みるみる裕福になり東北一の長者となりました。その後一人娘の吉祥姫(桂子姫)は継体天皇のお后となったそうです。 ※日本書紀に、継体天皇は、根(東北)の国王の娘を后にしたと記されています。 ・・・だ、そうじゃ。上の写真は現岩手県八幡平市にある、だんぶり長者が酒の湧き出す泉を見つけたといわれておる場所じゃ。車で行けるから、是非一度は立ち寄ってみてほしいものぞ。しかし朕が行ったときは、もうお酒涸れておった。残念。(朕) ▲
by deepkazuno
| 2008-01-31 12:03
| ダンジョン
![]() ![]() よい農産物は存在しても、地域としてそれを加工し商品化する、販路を切り開くというきっかけが作れないでおった、ともいえような。そのきっかけが作れないでおったというのが、前述した、それぞれの分野ごとに、バラバラにしか動いておらん、ということが大きな要因だったのではないかのう。 農業と観光という我が鹿角の二大産業、そして商工業との連携を生む「潤滑油」としての役割を担う何者か、何らかの組織が必要じゃな。それはあるいは異業種間でのネットワークを持つ商工会青年部あたりか。我が鹿角の異業種を結びつけ、何かを生む作業が出来る、これはいまだ景気低迷に悩む地方経済にとって、強力な起爆剤となり得ようし、今後必要不可欠な要素じゃ。 ![]() これは朕の持論じゃが、農業は土と水と風から商材となる食料を生み出すのじゃ。民はその商材を加工し、付加価値をつけ、商品として売り出す力を持っておるはずじゃ。アイデアは次々と沸いてくるはずぞ。そして販路は・・・ぞくぞくと外から観光客がやってくるではないか。我が鹿角は観光地じゃ。我が鹿角の土と水と風が、我が鹿角の民の手で外貨獲得に結び付けられるのじゃ。これぞ観光地で、かつ農業が盛んな我が鹿角ならではの手法よな。 朕もいろいろ我が鹿角を巡っておると、地元特産の農産物に関して、こんなのもあるのか、という発見もあるしのう、朕も少しだけ関わったことのある商品開発の時点で、こんなのはどうか、こういう加工をすれば素晴らしい食材が生まれるのでは、といった夢がどんどん広がっていくぞなもし。そして商品開発を進めるために、必然的に様々な業種の御仁らと出会い、話し合い、交流をもつこととなるのじゃ。こりゃ大変な労力を要するものじゃが、特産品開発とかをやって得られた経験、異業種間の繋がりは、何物にも変えがたいものじゃ。朕も、我が鹿角の統治に活かせるものを得られた気がするわい。 そして将来的には、農業と他の業種との連携によって、農家には新たな収入が生まれ、商店街で落とすお金が増えよる。観光の面ではお客さんに喜んで買ってもらえる商品が生まれよる。我が鹿角の民は業種を越えたネットワークを広げることで、商売の幅が広がる可能性すら秘めておるわ。我が鹿角、これからは異業種交流ぞ。我が鹿角に住まう民が一丸となって、ともに我が鹿角の産業を盛り上げてくのじゃ! ・・・なんちて。(朕) ▲
by deepkazuno
| 2008-01-29 17:27
| 宿屋うまごや
![]() ▲
by deepkazuno
| 2008-01-28 16:27
| 関東寺院
![]() ▲
by deepkazuno
| 2008-01-28 10:29
| ダンジョン
![]() ▲
by deepkazuno
| 2008-01-27 16:31
| ボッタクル商店
![]() 材料 納豆 とんぶり 味噌漬け大根 調理方法 ①味噌漬け大根は細かく切っておき、材料を混ぜる。 ②終わり。 すばらしい簡潔な作り方じゃろ。味噌漬け大根のしょっぱさとシャキシャキした食感、とんぶりのプチプチした歯ざわり、納豆の旨味が相まって、絶妙のハーモニーを奏でるのじゃ!貴公らも試してみるのじゃ!もしかして、この食べ方県内でもメジャー?(朕) ▲
by deepkazuno
| 2008-01-25 09:39
| ボッタクル商店
![]() ![]() 多くの文人・歴史家を惹き付けた我が鹿角の奥深い文化。極めて多様なバリエーションに富んだ伝説・民話の数々は、我が鹿角の文化のあらわれと言えようぞ。 中でも「錦木塚の物語」などは京都貴族たちの恋文の格好の題材とされたり、世阿弥によって能の曲目になるなど、たいへん魅力に富んだ伝説として長い間愛され続けておる。また、一説に霊力をもったマタギであったともされる草木の若者「八郎太郎」の物語などは、その展開の壮大さ、緻密さは他に類をみない完成度の高いドラマじゃ。「だんぶり長者」伝説などは、ストーリーもさることながら、かなり古い時代から大和政権と我が鹿角の関わりを示唆する、たいそう興味をひく内容となっておる。 このように多くの伝説や民話が鹿角に存在する背景には、大湯環状列石などの遺跡に裏付けられた悠久の人の営みと、しばらく文字を持たず口伝で伝えられてきた歴史、奥州アイヌの豊かな文化が根付いておる。 そして我が鹿角の人々の豊かな文化を支えておったのは、狩猟や農業よりむしろ近代に至るまで鉱業じゃった。鉱山を中心として人が集い、各種の産業が盛りたてられておった。江戸時代中期には奥州の山中としては異例の取れ高2万石を誇ったのも、我が鹿角が奥州の街道の交差点であるだけでなく、鉱業がリーディング産業として栄えていたためなのじゃ。交通の要衝であり黒鉱といわれる鉱床に恵まれた我が鹿角は、自然と重要な土地じゃった。我が鹿角地域に開かれた鉱山の数は、現在まで記録にあるだけでも100を数え、これは世界的にも例が無い大鉱山密集地域じゃ。 ![]() 太古の昔、「金」といえば、中国大陸でも銅のことを指して「金」と言っておったと聞き及ぶ。尾去沢で見つかったとされるのは、金であったか銅であったかのう。いずれにしても、神々しい光を放ち、延性に富む上に硬い希少金属は、武器に使われた他、当時急速に上流階級の間で広まりつつあった仏教のために、その需要が増大しておった。我が鹿角で古い時代に発見され、産出された金も、他地域との貿易や関係向上に有効に使われたはずじゃ。発見年代が伝説通りなら、奈良の東大寺大仏像にも使われたという伝承も真実味のある話じゃろう。また、高橋克彦氏によって、北方ルートでの大陸との貿易に使われた可能性も示唆されておる。 そして後年、英雄アテルイの時代を経て奥州に君臨した安倍一族のもと、我が鹿角の鉱山はさらに重要性を増してゆくのじゃ。前九年、後三年の役の争乱の後に安倍氏の跡を継いだ藤原氏は、今の岩手県平泉の地に居を構え、戦乱に明け暮れた経験から浄土思想に到達、平泉を中心に極楽浄土を現世に出現させようとしたのじゃ。浄土思想が絵に描く極楽浄土の姿は、清涼な世界であり、金の放つ輝きは清涼なるものとされたようじゃな。我が鹿角の産金が平泉のいわゆる黄金文化を支えたという言い伝えが真実ならば、金色堂に代表される平泉の浄土思想の具現化に、我が鹿角が大いに寄与したということに他なるまいよ。マルコ・ポーロが東方見聞録としてヨーロッパへ伝えた黄金の国ジパングは、一説に平泉の浄土思想に基づいた黄金の都を伝え聞いたものだというぞな。となれば、尾去沢をはじめとする我が鹿角の山々の産金が、日本の豊かさを世界中に知らしめたと言っても過言ではあるまい。全ては伝説の域を出ぬが、京の都以上に隆盛を誇った平泉の藤原氏は、源頼朝に滅ぼされた際、最後の当主藤原泰衡が我が鹿角へ逃亡し、この地で最後の時を迎えたといいよる。奥州藤原氏にとって、我が鹿角は切っても切れない縁の土地だったと言えような。そして藤原泰衡が落ち延びてきた道こそ、藤原氏と平泉の黄金に輝く浄土思想の都へ、我が鹿角の産金を運んだ道だったのじゃ。 ![]() ▲
by deepkazuno
| 2008-01-24 18:00
| 酒場あばん亭
![]() ▲
by deepkazuno
| 2008-01-23 17:28
| ボッタクル商店
![]() これはキノコではござらぬよ。 木に雪が積もったのでござる。 樹氷ほどではござらぬが、まあ、よくぞここまで積もったものでござる。これぐらい積もれば木々の枝にかかる荷重もそれなりのものでござろう。 幼少の折には、こういった木の下に友人を誘い込んだものでござるなあ。そして、雪の乗った枝の下に人が立ったら、おもむろに木を揺らすのでござる。すると雪は真下の人に直撃するという仕組みでござるな。これがなかなか面白うござってのう。子供は雪にまみれるのが大好きなものゆえ、人にかぶせるだけでは飽きたらず、わざわざ自分に直撃するよう揺すってみたりしてのう。楽しいものでござるよ。今の子は、外で遊ぶ機会が減っておるようでござるから、もうそんな遊びはやらないのであろうのう。(余) ▲
by deepkazuno
| 2008-01-22 22:32
| ダンジョン
![]() すればするほど 遠のく安全 近づく地獄 マインランド尾去沢の観光坑道内で、以前見落としておった標語があったのでご紹介じゃ。こりゃ男鹿のなまはげ的な文言じゃな。いやさ、女風呂に入るとかそういう件ではないぞな。皆で決めたことは守らんといかんというお叱りのことじゃよ。あれ?やっぱ女風呂の件か。・・・それはともかく、暴走族だか珍走族だかにもピッタリな標語よな。近づく地獄というのは近づく死期ということじゃろうが、行き先が天国でのうて地獄限定というところに、脅しにも似た威圧感を感じるのう。それだけ、地下坑道内での作業はチームワークが大事じゃったということであろうのう。保護具は命の防波堤!(朕) ▲
by deepkazuno
| 2008-01-22 19:09
| ダンジョン
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このブログは狂王こと「朕」とその藩屏であるメジャーダイミョーこと「余」が秋田県の鹿角っていう場所で繰り広げる、東海道中膝栗毛もびっくりの珍道中を皆に紹介していくものであるぞ。朕と余とともにこのディープな鹿角を探索しようという猛者よ、我等が旗の下へ馳せ参じよ!我々について詳しくはカテゴリ「ステータス」で確認できるぞ!
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